長い夏休み
昨日はライブだった。
動員は地獄のような状況で、スタート時間楽屋で悲しすぎて涙が出たが、先日親友大橋が言っていた事を思い出して何とかポジティブな気持ちで臨む事が出来た。
俺のことを良いと言ってくれてお客さん全然入らないのに毎月場所を提供してくれるちょ美ひげ、そしてこのコロナコロナの毒世の中にも関わらず観に来てくれた仲間達に感謝である。
まあそもそもコロナコロナの毒世の中でなくてもあんま動員はないのだが、大橋が言っていた事ってのはこういう風にネガティブな事に精神を病むより評価してくれる方々に感謝した方が生きていて楽しいじゃないかって事である。
全くその通りだ。
負の感情ってのは身体が弱っている時によく湧くのだが、早よこの右肩の痛み、悪霊がどっか行く事を切に願う。
ライブは今までで一番良かったんじゃないかと思う。
俺はライブをやるごとにパワーアップしている。
この精神状態は良い事だ。
ライブ終わりは大体親友シーボーとしっぽり飲むのだが、もっと自身の音楽を人々に聞いてもらうにはどうするべきかってことを客観的視点でズバズバと切られた。
今が俺の音楽キャリアにおける最底辺であるならば、その状況下においてそれを打破するべく真剣に思った事をズバっと言ってくれる仲間がいる事を俺はありがたいなあと思う。
何人かしかいな親友達に感謝である。
さて、そんなこんなで今日も休みだった。
いつもの日曜日。
今日中央競馬はデカイレースだったので俺の心は騒ついた。
競馬との決別を宣言して何日経ったのだろうか。俺はまた競馬の予想をしていた。
タバコも辞めれなかった。
45歳にして俺は俺を少しずつわかり始めた。
興味ある事にはがっぽし執着し興味ない事は何も思わない人間なのだと。
興味あることが例え悪い事だったとしてもそれを断つ事はできない。
そして誰よりも飽きっぽい。
ガーとなってはすぐ飽きる。長続きしない。
計画性が無い。
将来の事などを深刻に考えた事が無い。
そんな俺がどうしても捨てきれんもんが音楽と競馬なのかもしれんな。わっはは。
おっと自己分析はここまでにして話を戻そう。
で、デカイレースが終わったあとはやっちんと電話でレースのことで1時間ほど長電話するのだが(やっちん:今村が上京してバイトしたスパゲティー屋で最初に知り合ったパンクロッカー。今村の東京での音楽活動の入り口となった最重要人物。今は天草に在住)
ふとやっちんが
「お前、ヒロトが出たテレビ観たか?」
と競馬以外の話をしてきた。
「いや、まだみとらん」と俺は言った。
「お前さ、覚えて無いかもしれねえけど、昔俺に”やっちんは音楽で有名になりたく無いと?”って聞かれた事があってさ、そん時俺は”俺はバンドやってる今、もう夢が叶ってるんだよ、別に有名になりたいなんて思わない、ただただバンドやってる今が最高なんよ”って答えたのよ、ヒロトも同じ事言ってたぞ。俺は間違って無かったって思ったよ」
そして
「俺にとって東京で音楽やってた期間って夏休みだったんだよ。楽しくてしょうが無かった。天草に帰る時、お前らが見送りに来て最後飛行機乗る時”ああいい夏休みやったなあ、まあこれで終わり。俺の夏休みは終わった”って本当に思ったよ。」
と言った。
俺は言葉が出てこなかった。
悲しいのか切ないのか何なのかわからんが鼻の奥がグーとなってなんかいうと泣いてしまう気持ちになった。そして続けて
「まあお前、まだ音楽やって競馬もやって夏休みみたいでいいじゃん。」
と言った。
やっちんの言葉に俺は救われた。
フーと肩の力が抜けた気持ちになった。
気持ちになったが相変わらず右肩は痛い。
俺のこの毎日は上京してきた18歳の頃と何も変わって無いのかもしれないな。
ずーと福岡の田舎から花の都大東京に上京している状態。
そして最後に
「お前もハゲて田舎帰ればいいんだよ。早くハゲてしまえ」と言われた。
ぶっちゃげハゲて来たのだが、電話を切ったあと、
俺は長い夏休みの中にいるのだな
と心の底から思った。
一生夏休みで行こう。
巡礼
右肩が重い。
重いっちゅうか凝ってるというか、何というか違和感を感じ気になって眠れない事もある。
仕事柄パソコンに向かっているので姿勢の問題で肩が凝っているのかとも思ったがどうも違う。
もしかして何か悪いモンが肩に乗っかっているのかもしれんと思い出した。
そういえば最近なんともパッとしない。
思考もネガティブになりがちでドローンとした空気の中で生きているような、何をするにも心から集中できないなと思っていた。
悪霊である。
オバケ信仰はないが、こう思い出したら悪霊が乗っかってる気がしてならず、自転車乗ってる時も車が突撃してくるんじゃないかなど訳のわからん気持ちになってきた。
そこで俺はどっかパワースポット的なとこに行くべきだと思うようになってきた。
そんな話をしていたら嫁さんから
「代々木八幡がすごいパワースポットらしいよ」との話を聞いた。
東京生活25年以上になる。代々木八幡などはチャリで100回は素通りしており、その存在は知っていたがお参りしてみようなどと思った事が一度も無かった。
これはタイミングだなと思い、末っ子の保育園送りがてら今日お参りに行って来た。
鳥居をくぐり左に曲がると本殿が見えた。
近づくと朝にも関わらず数人がお参りの列を作っていた。
俺も並び順番が来たので帽子を取り100円残して残りの小銭を賽銭箱に放り込みお参りした。
前の人はお参りが済むと右側に進んだので俺もそれにならった。
でかい木箱があり、その前にも賽銭箱があったのでお参りした。
前の人はでかい木箱のお参りが済むとさらに右に行ったので俺もそれにならった。
そこにはおいなりさんがいた。
ちっさな狐の置物が100体くらいおり、地蔵や赤い旗などから醸し出される妙なパワーに更に背筋が伸びる。
小さな鏡に向かいお参りした。
残しておいた100円でおみくじを引く。
小吉 運気容易に開けず口舌多し 急がず時の到るを待ちて事を行え
遺跡などを覗いて家に帰った。
神聖な気持ちの俺は亡き父母の写真周り、亡き愛猫ミックの骨壷などを掃除した。
その時だ。俺は異変に気付いた。
前に買った豪徳寺の招き猫の手が折れとるやないか!!!!!
子供のいたずらでミックの遺影前に飾られた招き猫はなんども床に落っこちていた。
何処かのタイミングで手が折れてしまったのだろう。
亡き父母の遺影も埃まみれだった。
俺はそれらに気づかず今までいた事を深く深く反省した。
宗教的な云々とかではなく、そのちょっとした事、父母の写真のほこりやら、招き猫の手やらに気づかないほど視野が狭くなっておったのか!!!!!!
そんなに余裕が無かったのか!!!!!
仏コーナーを綺麗にふきあげ俺は手の折れてしまった招き猫をリュックにしまい豪徳寺へ向かった。
ありがとうございました。
手が折れていた事に気づかずすんませんでした。
と心でつぶやき今村家の招き猫二体を返した。
そして今までのやつよりワンサイズ大きな招き猫を二体買った。
どんどん進化させ最終的には一番デカイのを買うイメージでいる。
豪徳寺でもおみくじを引いた。
吉 おいおいよきことがかさなる 天上の時節まつごとし
たとえば竜のふちに隠れて天上のじせつを待つ如し心をおとなしく持ち、先祖の祭おこたるな
神様やら仏様やらってのは自分の心にいるものだと思っている。
代々木八幡のおみくじと豪徳寺のおみくじを眺めているとどちらにも共通する事が書いてあった。
焦るな。待て。今は粛々とやるべき事をやれ。
俺はそれらのおみくじのメッセージをこう解釈した。
その瞬間力がスッと抜けた気がした。
スッと抜けた気がしたが、右肩の痛みが消える事は無かった。
別に欲しい本があった訳ではないが何となく入った。
パッと目に入ったのは、親父の看取り後に読んだエリザベス・キューブラー・ロスのライフ・レッスン。誰かに貸したままで手元に無かったのだがまた読みたくなって手にとった。
そして100円コーナーでビートたけし「バカ論」を手に取りレジに並んだ時、横の棚にでかいバージョンの「火の鳥鳳凰編」が目に入りそれも手に取った。
必要なタイミングに必要なもんが見えて、必要なもんが手に入るんだなあ、などと思いながら神聖な気持ちの俺は晴天の世田谷区をママチャリでのんびりと帰った。
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今村竜也
シンガーソングライター。
五児の父。
今村竜也の楽曲はコチラでお聴き頂けます。
それは自伝のようなもの
どうも今村竜也です。
新しい試みってヤツを日々考えている。先日、
「自分の曲を自分で解説する文章って面白いんじゃないか」と閃いた。
これ誰もやってないんじゃないかと。
まあそもそも我々ミュージシャンが描く幻想は、曲が流れた瞬間にそれを聴いた人々をグッと引き込みその歌詞と曲の世界観のみで全てを伝えたいってところだが、まあカッコつけておっても分かりづらいと思ったのだ。
また、俺がどんな景色を観てどんな事を想ってその曲を書いたかの記録が、このインターネットのどこかにストックされていてもいいんじゃないか、それらは俺っちゅう人間がどんな人間だったかを語るもんになるんじゃないかとも考えた。
中々筆が進まずモゴモゴしていたのだが、先日親友より「こういうのやったら面白いんじゃない」と、俺が思っていた事と全く同じ提案がありパシッとハマったのだ。
その親友と飲んでいる時に思ったのだが、俺は今まで書いてきた曲に対し完璧なまでの自負がないんじゃなかろうか、それらは本当に一生を捧げ表現するに値する俺の本当の気持ちなのだろうかなどとゴチャゴチャ訳の分からぬ事を考え、危うく自分の全てを否定し地獄に落ちる直前だった。
確かに俺は俺なりに歳をとり思う事も変わってくるので古い作品は今の俺の表現ではないかもしれない。
しかし、もっと自分を愛でてもいいんじゃなかろうか。
それら作品たちを一つづつ丁寧に紹介するコーナーがあってもいいんじゃないか。
と思うようになった。
例えば俺が書いてきた楽曲たちや、今から試みるそれらを解説した文章やらが誰の目に触れることも無かったとしても、きっといつか、きっと何処かの誰かが発見し何かを思う事もある。
そう信じて全ての楽曲を丁寧に説明していく事にする。
乞うご期待。
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今村竜也名義の全楽曲はこちらから聴く事ができます⬇︎
決別
数日前、嫁さんに
「松重さんと向井君の動画観た?」
と言われた。
俳優の松重豊さんがミュージシャンを招き朗読する動画なのだが、向井秀徳氏が招かれギターを演奏する回だ。
俺はその動画が公開された直後に途中まで観ていたので
「ああチラッと観たよ。いい雰囲気だったな」と言った。
嫁さんは
「最後まで観てないの?後半が物凄く良くて私連続で3回くらい観てしまったよ」
と言った。
暫くした休みの朝、俺は何となくそのやりとりを思い出し動画を観た。
兎に角素晴らしかった。
映像の撮り方がとかギターで弾いてる曲が何やらとか、そんなもんはどうでも良く、
ただただその語られる言葉、声、内容、流れるギターの音、その場所の空気の音、全てが一体化してこれをジャンルに区切るのならば何と言おうか、音楽付きの朗読でもなく、映像作品でもなく、名前の付けようのない何かだった。
何かの塊が風景を生んだ。
俺の感情は激しく揺さぶられ良い映画を観た後のように何日も何日もそれらのシーンや言葉がフラッシュバックしてくるのだ。
その中で語られた物語の風景すらフラッシュバックしてくる。自分の経験のように。
それらを経て俺は己の表現とは一体何なんだろうかと劣等感のようなもんを感じた。
俺は何をやっているんだ。
己の魂を揺らす出来事ってのは毎日の中に混ざり込んでいて、それらをスルーしているのではないか、何か重要な事を見逃しているのではないかと思った。
その出来事を歌詞にして歌うことが表現であると思っていたのに、魂を揺らす出来事について記録すらせず、いや、記録するまでもそのような出来事は脳みそにべったりとトラウマのように張り付いているべきなのに
その輪郭をうっすらと思い出すだけでその出来事たちをはっきりと音楽や詩にできていない
それはとても悲しい事だった。
己が恥ずかしくもなった。
俺は何をやっているんだ。
やりたい事がある。それをやる為に日々働く。
もちろん家族の生活の為にも働く。
魂が揺れた感動を言いたい。誰かにわかってもらいたい。
俺こんな事があってこんな事を思ったんだよ。
そして歌ったらこうなったよ聴いてよ。
そんなシンプルな事をシンプルにやらずに、煩悩の快楽に浸りきっておった。
俺はそんな煩悩、まあ単刀直入に言えば競馬なんだが、競馬と決別する事を考えた。
考え出したら今すぐそれをやらなければいけないような気持ちになった。
タバコとの決別は失敗した。
今回はすぐに取り掛からなければ何かが死んでしまうような気持ちにさえなった。
アイパットとグリーンチャンネルを解約した。
話が脱線した。戻す。
今回松重さんと向井君の動画を何回も観て都度感動して言いたかった事は
素晴らしい物事を途中で観るのを辞めていた、スルーしそうになっていた自分が悲しかったって事だ。
冒頭の雰囲気で気づけよ。何を嫁さんに言われて気付いてるんだよ。
何ボケっとしてんだよ。
自分が嫌になったってお話。
旅はまだまだ続く。
可能性について
今日は休みだった。
家にずっといた。
我がホームページのリニューアル作業をせっせとやっていた。
俺は典型的なB型なのでこういう作業が物凄く苦手だ。
ピシッと揃っていた方が勿論気持ち良いのだが、それらの作業をやっていると
「あーもういいわ一服だ」
とタバコばっか吸って作業ははかどらない。
いやしかしこういうもんはカシっとしといた方が良いしスタイリッシュである方が良い。
結局朝から昼過ぎまでやっていた。
向いてないんだろうが俺はやる。これは俺が音楽家として生き残る為に重要なことなのだ。
ホームページがしっかりあって音楽家としての土俵に立てると思っているし何でもそうだが、俺のことを気になった人がいてネットで検索してもなーんも出てこないんじゃ「あーなんかちゃんとしてない人なんだ。趣味程度なんだ」と思われるじゃねえかってのがある。
まあたいがいの事はタダでできるのでそれくらいやった方が良いと思うのである。
ホームページを色々やるのが疲れたので昼過ぎから競馬に励んだ。
今日は門別と浦和を攻めたのだが、これは展開の勉強だと思っている。
競馬ってのは馬の能力が一番であるが、展開ってのが二番目くらいに大事だと思っている。
追われる者と追いかける者。
リラックスできるポジションとずっと緊張するポジション。
地方競馬を制する者は中央競馬を制す。俺はそう思って止まない。
展開予想ががっつりハマったりハナ差でやられたりしながらまあ少ーしのマイナスで終了。
勉強はまだまだ続くよ。
さて本題だ。
競馬やって晩酌して俺はベースの練習をした。
まあ元々俺はベーシストだったのだからベースくらい弾けるだろうと思われるが、ベースは暫く弾かないと全く弾けなくなる楽器だ。
他の楽器より激しく弾けなくなる。ベースを弾く筋肉が衰えるからだ。
最近自分の作る楽曲に飽きている。
ああまたこのパターンね。アコギをボローンと弾いて歌う感じ。
頭打ちだ。曲の想像を広げるには俺はベースを弾くしかないと思った。
俺の音楽はベースがベースになっていると思っている。
ベースがベースになっているのにベースを弾けんのはベストではない。ベスが出る。
俺のベースである楽器はベースなのでそれをちゃんと弾ける状態にしてベースをベースとした曲を作ってそれをアコギで弾き語ったらどうか。それが答えなんじゃないかとも思えてきた。
中途半端でやめたベースを改めて追求するのも悪くないなあとも思ったのだ。
可能性があるのなら今すぐやるべきだ
俺はいつでも思っている。
ベースだってスーパーベーシストになる可能性がある。高校生のときから10年前くらいまであんなに一生懸命やってたじゃないか。
夢の続きを見よう。これは自分の為にやる事だ。
まあ色々大げさに書いたがベースの楽しさに改めて気づいたって事だ。
ベースを始めたら心が健全になった気がする。
全部ガツガツやれば良い。そしたら今とは違った世界が見えると思うよ。
終わり。
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今村竜也の最新音源をどうぞ宜しく!
今村文章再び。
お久しぶりです。今村でございます。
皆様ご機嫌いかがでしょうか?
コロナパニックが始まる3月か4月くらいに今まで15年続けていたgooブログを止める事にした。
理由は俺が書いた文章も少しは商売にならんもんかと考えたからだ。
俺は音楽家ではあるが、文章を書くのも好きで趣味として日々の日記やら妄想やら小説めいた事を書き殴っておった。
それは作詞に対する苦手意識を克服する為のトレーニングでもあった。
一年前くらいは新曲を書くトレーニングとして泥酔した状態で何の打算も無く文章を思うがままに書きまくる「感性の文字起こし」と称した日記を書きまくった。
俺はミュージシャンであるが五人の子供を育てるべくサラリーマンとして日々仕事をしておる訳だが、朝起きて会社行って帰って風呂入って晩酌して寝るっていう普通の日の中でふと思った事であったり、引っかかった出来事だったり、アイデアだったりを文字にしブログで公に発表する事でアーカイブとなり後で「ああ、この日ってこんな事思ったんやなあ」とか「こんな事があったのね」って振り返れる、それはきっと芸術だ!それは有料でも誰かが読んでくれるほどの価値がある事だ!と勝手に評価し、それらをnoteでやって有料で読んでもらおうなどと考えたのだが
「買ってもらう」って事を意識した瞬間から文章が踊らなくなったのよね。
カネがチラつくっちゅうか・・・。それはご想像通り、全くつまらない駄文である。
そう思ってしまったら終わり。俺はしばらく文章を書く喜びから遠ざかり放置していた。
文章を書き殴るって行為はガムシャラに歌う行為と同じだと思うのだが、家で歌ってもガキどもがうるさく悦に浸る事もできんので、またこうやって文章を書く事を再開しようと思った訳だ。うるさいから俺は今、耳栓をしてこの文章を書いている。
その日に感じた事を新鮮なうちに文字として記録する
俺はそれを再開する事にした。
なぜハテナブログに移行したかと言うとこのブログは自由度が高い。
我が作った曲を紹介し宣伝する事もできるし、広告を貼る事もできる。
我が文章に興味を持ってくれた方々が我が文章の影響で我が音楽を聴いてくれ、それが我が生業となるってなんて素敵なんでしょう!
まあ兎に角、俺の音楽以外のもう一つのアウトプットとしての文章をまたガツンとやったろうやないかいと思った訳だ。
って事で私、今村竜也の最新曲「SHADOW」絶賛ダウンロード販売、各種サブスク配信中でございます。聴いてみてください。ではでは今後とも宜しくです。