対比
それに伴い俺は仕事が休みになった。
「ガッキーは俺の友達の友達なんだよ」と自慢する法則と同じである。
コロナウィルス感染者の友達の友達は、特になんともないのだが、特別扱いである。
お陰様で自分の時間をたっぷりと有意義に使う事ができた。
ありがとう社会。
結果、娘は陰性であった為今日から仕事だ。
神様から与えられた休日は実に有意義であった。
新曲のMVをじっくり作り込む事ができたし、音楽的な「事務作業」をやっても十分に余る時間があった。
こんな日々は大げさではなく十数年ぶりであった。
ギターを弾いたりもしたのだが、主に先に書いた「事務作業」と趣味に時間を使った。
表現活動、すなわち芸術を作り出す気持ちになれず全ての欲望を満たす日々となった。
タイトルにした対比。
やりたくねえやりたくねえと言いながら普段仕事しとる訳だが、それは実はとても重要な事だと気付かされた休日だった。
人間、いや俺はある程度の不自由があって初めて芸術活動をやるのだと思った。
それがないとほぼ競馬の事しか考えていない事が明らかになった。
別に競馬に人生を捧げても、それはそれで良い人生だと思う。
本当にそう思う。
しかしその中にふわっと存在する虚しさがあり、
「俺はこんなもんなんだろうか」っちゅう自己顕示欲の大元のような熱がやはりふつふつと湧き上がるのである。
それを燃焼させる事が俺の芸術活動であり、すなわち歌なのだと確信した。
歌詞にもあるが、
本当は今のままで満たされている
本当は今のままで許されている
それでもさ欲張りな俺は「足りない」と
夢ばかり観てるような暮らしをする
この通りだと最近思っているのである。
昨日の朝、学校へ行った長男の部屋に入り彼が買った本などを眺めた。
俺はこの男をここまで育てた。
長女、次男、次女、三女。
やあやあ言いながら皆すくすくと育っとるじゃないか。
それらを眺めていると
ああ俺はもうすでに人間今村竜也としてのミッションをクリアしたのかもしれんな
とか思ったりする。
だがヒライマサヤが言ってた言葉がその後必ずやってくる。
ライブは弦が切れた後にロックンロールがある
歌はネタ切れになった後に本当の歌が歌われる
咀嚼して俺は
人間としてのミッションを全うした後に本当の芸術が生まれる
と思っている。
悦を超越した悦ってやつだ。
ぼかあ幸せだあ
と思って、そのまま幸せのぬるま湯に浸かるも良いが、いやいやもっとあるぞこの先がもっとあるはずだ
と思う欲望が俺は美しいと思うし好きだ。
俺は欲望の塊である。
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今村竜也が最新曲「ある朝」について語る動画。
今村竜也のライブ情報
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