今村竜也2021年回顧
久しぶりに文章を書く。
無理やり書くもんではないのでこれで良いのだが、前回の記事を見たら5月だった。
毎年年末にその年を振り返るのだが、今年は昨年に引き続きコロナにより時間が縮んだような一年だった。
ライブ活動は緊急事態宣言の煽りを受け1〜4月は自粛した。
その間俺は何をやっていたか思い出そうと試みたが、さっぱり何をしていたのか思い出せない。
まあ競馬ばかりやっていたのだろう。狂ったように。
タイミングもあるが今年の冒頭、俺は音楽に対するモチベーションが激低だったのだろう。
ライブにお客さんを集める事が禁止され、そもそも集客力が弱い俺は更なる困難を強いられいじけてしまったのだ。
こればかりはどうにもならなかった。
配信でのライブって手段もあるのだが、そもそも配信に対し面白さを感じていない。
面白さを感じていないってのは、何度かやって、あの視聴者0の状況で一人で喋っとる感じや歌っとる感じがとても虚しいのだ。
勿論アーカイブで後ほど見ることもできるのだが、ライブとはなんぞやと自問した時、
これならば映像作品として作り上げた方が面白いんじゃないかなど思ったりもした。
まあ、配信やりますーって始めて視聴者がどんどん増えていけば調子に乗って楽しい気持ちになるんだが、そうならなかった過去のトラウマがある。
そんな悶々とした4月頃だったか、我がホーム下北沢ちょ美ひげに飲みに行った時、遠藤さんから「竜也君、なんか歌詞書いたら俺曲つけるよ。気楽に持って来なよ」と提案があった。
その頃、直接の面識はないが、あるミュージシャンの奥さんが長い闘病の末亡くなられたニュースを知り、なんとも言えん気持ちになった。
愛する人の死ってもんを俺は何度か経験しているのだが、奥さんに先立たれる時の気持ちについて一週間ほど色々考えていた。
それくらい衝撃的なニュースだったんだが、なんと言えばいいのか、その当事者であるミュージシャンの振る舞いは悲しさの中にある愛、肉体が無くなっても精神で繋がる愛を確かに目撃し、感じているありのままの姿であり、素晴らしい映画を見終わったあとのような気持ちになった。
それを見た感情を詞にした。遠藤さんは最高の曲を作ってくれ、レコーディングまでやってくれた。金沢に住むヨシカナにピアノを頼んだ。俺の気持ちを代弁するような感情的なピアノを入れてくれた。そして「ある朝」という曲ができた。
これは俺のいじけた心に勇気を与えてくれた。
音楽を誰かと作り上げる素晴らしさを思い出したのだ。このバンドマジックのような、自分の想像を超える曲や演奏が全体を何百倍にも華やかなものにしてくれる。
これがあるからバンドマン達はバンドを辞めれないのだが、俺は今年の半ば、夏の手前にこの感じを思い出したのだ。
音源「ある朝」発表に合わせ、ライブ活動を再開した。
相変わらず集客は渋いが、コロナで微妙な時期の中、俺の曲を聴きに来てくれた仲間達がいた。本当に感謝している。
下北沢ちょ美ひげにて自身のイベント「原点回帰シリーズ」を月1回のペースで行った。
渋い集客の中、快く毎月歌う場を提供してくれる下北沢ちょ美ひげの隊長、遠藤さんには一生頭があがらない。恩返しをしたい。
夏。
借金の整理等々を決断し俺の小遣いカットを自ら申し出た。
俺の不摂生にて今村家に迷惑をかけたくなかったのだが、こうするしか無かった。
月々の支払いなどを考えると自身の小遣いカットと併せ月給を数万プラスが必須となった。
今までとは異なり仕事をガンガンやる事にした。
俺は自分で自分のケツに火を点けた。
小遣いが欲しけりゃ仕事以外で稼ぐしか無くなったのだ。
メルカリで色んなもんを売った。
ネットビジネス的副業も考えた。
俺はボーカルなので、仮歌やナレーションの副業も考えた。
が、どれも何かケツの穴がむず痒い違和感を感じた。
と言うより、腰が重かった。仮歌とかナレーションとかやりたくないのだ。
俺は何がやりたいんだと自問自答している時、鈴木大樹から路上ライブのお誘いがあった。
10月末の話だ。
路上ライブはその昔2度ほどやった事があるが、スーパーオールスルー状態にトラウマがあった。
向井君に誘われ下北沢路上でのライブは3度ほどやったが、それとこれとはまた状況が異なっていた。ほぼ無名の俺が路上で歌うのだ。
それは歌のスキルは勿論、素晴らしい楽曲でなくてはならないし、カバーも自分のものにした魂のカバーをやらないと見ず知らずの人々が脚を止めることは勿論、銭を投げる事などは皆無なのだ。
そんな中吉祥寺にて路上ライブをやったのだが、自分が想像していたより遥かに反応があった。
有名無名関係なし。その場にいるたまたま通りがかった名も知らぬ人の心のタイミングと俺の歌のタイミングがバチッと合わさった時にその人は脚を止める。そして対価を得ることができるのだ。
俺の中でカチっと何かと何かがハマる音が聞こえた。
ああ、なんてシンプルな世界なんだと思ったし、今の俺にとてもフィットしていると思った。
何より、俺の歌ってそんなに需要ないのかといじけていた気持ちが、俺の歌を聞いて感動してくれる人がいるんだ、伝わるんだと嬉しい気持ちが増えた。
路上をやる予定のある平日の仕事中なども、それがある事によりパソコンのタイピングも機嫌よく、クレームの対応もヨカヨカと全てが上手くいくようになった。
賛否両論ある。
だが今は週1〜2回の路上ライブと、月一回のちょ美ひげでの自主イベントをやる事が、とても腑に落ちており、何より毎日が楽しいのだ。
歌う悦びを噛み締めている。
さて、ぼちぼちまとめに。
そんなこんなで、俺はまたミュージシャンとしての自尊心と自己顕示欲を取り戻したのだが、
来年は曲をたくさん書こうと思っている。
今年は学びの年であり、来年は飛躍の年である。
毎年言っとるが、今年も色んな人に色んな迷惑をかけた。
それを許し、俺を受け入れてくれた皆に感謝している。ありがとう。
来年もいっぱい迷惑かけるのでどうぞ宜しく。
今村竜也
対比
それに伴い俺は仕事が休みになった。
「ガッキーは俺の友達の友達なんだよ」と自慢する法則と同じである。
コロナウィルス感染者の友達の友達は、特になんともないのだが、特別扱いである。
お陰様で自分の時間をたっぷりと有意義に使う事ができた。
ありがとう社会。
結果、娘は陰性であった為今日から仕事だ。
神様から与えられた休日は実に有意義であった。
新曲のMVをじっくり作り込む事ができたし、音楽的な「事務作業」をやっても十分に余る時間があった。
こんな日々は大げさではなく十数年ぶりであった。
ギターを弾いたりもしたのだが、主に先に書いた「事務作業」と趣味に時間を使った。
表現活動、すなわち芸術を作り出す気持ちになれず全ての欲望を満たす日々となった。
タイトルにした対比。
やりたくねえやりたくねえと言いながら普段仕事しとる訳だが、それは実はとても重要な事だと気付かされた休日だった。
人間、いや俺はある程度の不自由があって初めて芸術活動をやるのだと思った。
それがないとほぼ競馬の事しか考えていない事が明らかになった。
別に競馬に人生を捧げても、それはそれで良い人生だと思う。
本当にそう思う。
しかしその中にふわっと存在する虚しさがあり、
「俺はこんなもんなんだろうか」っちゅう自己顕示欲の大元のような熱がやはりふつふつと湧き上がるのである。
それを燃焼させる事が俺の芸術活動であり、すなわち歌なのだと確信した。
歌詞にもあるが、
本当は今のままで満たされている
本当は今のままで許されている
それでもさ欲張りな俺は「足りない」と
夢ばかり観てるような暮らしをする
この通りだと最近思っているのである。
昨日の朝、学校へ行った長男の部屋に入り彼が買った本などを眺めた。
俺はこの男をここまで育てた。
長女、次男、次女、三女。
やあやあ言いながら皆すくすくと育っとるじゃないか。
それらを眺めていると
ああ俺はもうすでに人間今村竜也としてのミッションをクリアしたのかもしれんな
とか思ったりする。
だがヒライマサヤが言ってた言葉がその後必ずやってくる。
ライブは弦が切れた後にロックンロールがある
歌はネタ切れになった後に本当の歌が歌われる
咀嚼して俺は
人間としてのミッションを全うした後に本当の芸術が生まれる
と思っている。
悦を超越した悦ってやつだ。
ぼかあ幸せだあ
と思って、そのまま幸せのぬるま湯に浸かるも良いが、いやいやもっとあるぞこの先がもっとあるはずだ
と思う欲望が俺は美しいと思うし好きだ。
俺は欲望の塊である。
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今村竜也が最新曲「ある朝」について語る動画。
今村竜也のライブ情報
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自分の枠を出ようか
自分自分自分。
自分で考え、自分の言った事や、やった事に自分でブチ切れる。
自分で観た風景に自分の記憶などをオーバーラップさせ感傷的になり、
自分が決めた人生を生きている。
自分自分言うとるがこれがまた滑稽やが、その自分は他人の影響をゴリゴリに受けていて、
パクリ思想、パクリ振る舞い、パクリ顔である。
所詮俺などが自分なりに良かれと思っとる事は他人の影響を受けたパクリ良かれであり、
オリジナルソングなどと声高らかに発表した楽曲も全てパクリなのである。
このことに気づいたのは実は随分若い頃であって、それも他人によって気付かされた事であり、パクリ人間である事に気づく行為そのものすらパクリに思えてくるのである。
これわかっている奴とわかってない奴とでは決定的に人間としての面白さ、すなわち人間ダイナミクスが雲泥の差であり、わかっている奴としか俺は友達にならない。
このポリシーすらも実のところ誰かの影響なのだろうが、
己なんぞは所詮影響を受けたパクリの塊である
って事を咀嚼する事は人生を楽しく歩む序章であるし、
そのパクリの塊である己が思った事やら発する表現がオリジナリティーなんだよ実は
って事に気づく事が何やエアオーディエンス的な人の眼を気にする事を排除した
平の状態になるもっとも重要な事である。
例えば今。
俺はハイボールをちびりやりながらこれを書いとるわけだが、ハイボールなど俺は全く好きではなかった。
嫁さんがハイボール好きで、4リットルトリスと大量の炭酸水を買い込み毎日飲んどる訳で、
「ハイボールはヘルシーだ」とか
「甘い」とかをプレゼンされ、焼酎が切れた時などに仕方なく飲んでいたところ
「ありゃなんかこれも悪くないな」になり
「これが一番いいんじゃないか」となった。
嫁さんの影響を受け、俺はいつの間にかハイボールを好きで飲むようになったのだが、これは俺が独自に開拓した酒ジャンルではない。
他人に影響を受けてそれをあたかも自分が発見したかのような気分で嗜む。
何と幸せなんだろうかと思う。
だらだらしてきたのでまとめるが、
庵野監督のドキュメンタリーで言ってた通り
「自分の想像する範囲ってのは実は面白くないんだよ」って事を最近つくづく感じるのである。
改めて発表するが、近日発表を予定している楽曲は、作詞は俺だが作曲、編曲、演奏、は俺じゃない。
俺じゃない人の発想やら具体的にできた音ってのは面白い。
なぜ面白いのか?
それは俺じゃないからである。
独言悟浄こと今村竜也45歳。
本当の意味での旅が始まるのである。
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辞められない人たち
宗ひろしという男がおる。
俺がその昔やっていたハートドロップスっちゅうバンドのファンで、お笑い芸人を辞め音楽の世界に踏み込んだ男だ。
知る人ぞ知るバンドMALCOでメジャーデビューしHEY!HEY!HEY!にも出たのだと言う。
ドリカムとボンジョビと対バンした事もあるらしい。
ドリカム
メジャーの洗礼を受け下北沢の街に戻って来たタイミング(何年前だろうか2008年くらいか)で再会したのだが、その時この男は完全なる石目であった。
俺はメジャーと契約した事はないが、こんな石目になるほど過酷な世界なのかと思ったもんである。石目とは皆さん有名人などに会って「ファンですう!握手してください〜」などと言って握手してもらった時に顔は笑っているが目が笑っていない状態、すなわち「ありがとうございます」などと言いつつも心ここにあらず状態の目の事である。宗ひろしは確実にこれだった。
街の底で音楽活動するうちにだんだんと人間らしい目つきになり、家庭などもち、今ではもう石目では無くなった。よかったよかった。
そんな宗ひろしと2年ぶりくらいに下北沢で飲んだ。
家族ぐるみの付き合いなので、二人で飲む事はごく稀だが、家族がいない状態で飲むと、コロナ問題、政治問題、生活問題、仕事問題などの話は2%しかせず音楽の話18%。残りの80%はエロい話で盛り上がった。
昼間っから何を話しとるんだと思われただろうが、5時間ほどノンストップでエロい話をして笑いすぎて喘息がぶり返す始末であった。
この男はネトウヨ化している時期もあったが、音楽で繋がっている仲間とはそんな政治的な思想の違いなどで仲違いする事はない。
俺的にはどんな思想、信仰、人種、セクシャルであっても面白い奴とはずっと友達(ずっとも)なのだ。
面白くない奴はスルーである。
まあとにかく俺はネトウヨ化していた(もう辞めたらしい)宗ひろしと大いに飲み大いに語りあって思ったのだが、この男もまたいつまでたっても音楽を辞められない人なのだ。
それは意地とか使命感にかられるもんではない。
辞めきらんのよ。依存しているし中毒患者である。
表現の方法、手段は色々あっていい。
とにかく俺たちは音楽とエロに依存しているところで繋がっているのだと思う。
ここまで書いて
「俺は果たしてこんな事を書きたかったのだろうか」
と冷静に思ったのだが、そもそも何を書きたかったかを忘れてしまった。
忘れるくらいの事なので大した事ではなかったのだろう。
まあ人生もそんなもんである。
嫁さんが「竹内まりやカバーセレクション」の録画を観出したのでここらへんにしておく。
以上
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MOTIVATION
高哲典という男がおる。
人に合わせる事が出来ない孤独主義者であり、こだわりが強い男である。
一年前にやっていたツイッターでの音声のみ生配信フロム猿小屋を再始動するとの事で、再始動後の第一弾ゲストとしてお呼ばれした。
明けましておめでとうと挨拶もソコソコに、ベラベラとそれぞれがそれぞれ、コロナにより地獄の底のような気分で過ごしていた近況を報告しあった。
コロナウィルスってのは肉体的な病では無い。
一般的には、っちゅうか世界的には常識的には、肉体的な病気になるウィルスなのだろうが、俺にとってコロナウィルスは確実にしっかりと精神を殺られるウィルスなんだなと考える。
オレオレ国のオレオレ王である俺がオレオレ活動のやる気が一切湧かなくなるほどの恐ろしいウィルスである。
実際に感染したかは定かでは無いが、確実にここ数ヶ月俺は音楽をやる気持ちから遠く離れた世界を生きていた。
生き延びていた。ダラダラと生き延びていたのだ。
今まで湧き上がってきた中学2年生の性欲のような自己顕示欲がさっぱり無くなっていた。
そんな中、リハビリがてらに文章を書いたり、過去の曲をSNSで宣伝したり、仰げば尊しなどを歌って動画撮ってアップしたりしていたらムクリと回春の風が吹き、誰かと何かをやりたいななどと思っていた矢先にフロム猿小屋のお話を頂いた訳だ。
これは俺世界の話と思いきや、こう言うもんはお互いがそう言うタイミングの時にパシッと合わさるもので、高哲典もコロナの精神に来る毒に侵され、このままじゃいかんと思い、俺をゲストに招いてくれたのだろう。
厳密にはそう思ったかは知らんが俺にはそう映った。
そんなこんなで放っておけばベラベラと5時間は話続けるであろうテンションでしゃべった記録がアーカイブとして残っている。是非聴いてみてほしい。
今日は昼から高哲典と語り合った。
— 今村竜也 (@tatsuyaimamura) 2021年3月26日
呼んでくれてありがとう。
そして聴いてくれた方々ありがとう。
現状に殺られてたまるかってな活力が湧いて来た。
機材トラブルにより三部作となったBIG2の対談記録をどうぞお聴き下さい。#今村竜也 #高哲典 #フロム猿小屋 https://t.co/DbiVDktbPz pic.twitter.com/aNYf7w50Nn
音楽性やら活動スタイルは違えど数少ない同じ感覚の友達と話すと活力がみなぎる。
俺は今、もっともっとだって気持ちに満ちておりそんな気持ちの時、生きてる心地がするのだ。
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高哲典-Akinori Taka- オフィシャルサイト
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枠から出ていかないと面白い事は起きない
今日は日曜日だが仕事だった。
ツイートした通り日曜日ってのは体が「休みモード」である。
朝起きてもなんかのんびりしていて平日の朝とは時間の流れ方がまるで違うように思える。
外を見ると久しぶりに見る本降りの雨だった。
電車で行くのもかったるく、カッパを着てチャリで新宿へと向かった。
伊藤君から秩父旅行土産の日本酒セットを頂いた。
我が人生において人に土産を買った量より買ってもらった量の方がはるかに多いな、ありがてえ事だと思った。
中央競馬との距離をとった俺は何百円の世界観で本日のメーン馬券を購入したが、またしても買い方をしくじりハズレ馬券となった。
一体俺は何度同じ過ちを繰り返すのだろうか。
人は失敗から学ぶと言うが、俺は都度学んでいるつもりでそれを次の出来事の時に忘れているのだなと思った。
これは悲しい事だ。
しかしそうやって「ああ、やっぱ俺はまたこういうやられ方をするんだな」って事を繰り返す事によって少しずつではあるが人間として成長しているような気がする。
これが学びってやつかもしれんな。
仕事をスタイリッシュにこなし家に帰った。
先日インスタで今村家は餃子焼く時、200個焼くって投稿をしたら、コメントがあった。
「初めまして 7人家族はやっぱり200なんですね」
コメントしてくれた人のインスタを覗いてみると、その彼も子供が5人おり、そして歌を歌っている男だった。
その歌を聴いたら、なんとも言えん親近感を感じた。
アップされた写真やら、それに添えられた文章を読んでいると、俺と同じ気持ちで歌を歌っている男がこの世に存在するんだって事実がガポーンと来て、俺も歌ってるんすよと思わずダイレクトメールをしてしまった。
餃子を200個焼くっちゅう記事をインスタにあげなかったらこの人からコメントは来ず、このなんとも言えん同志感を味わえんかったのかなあなどと思った。
やっぱなんでも枠から出ていかないと面白い事は起きないのだな。
餃子200個焼いて家族でワイワイと食らうだけでも十分に幸せなのは知っている。
だが、それを公にした事でその先の幸せをゲットできたって事が今日の学びである。
だからといって夫婦の営みやらなんやらなんでも公にするもんではない。
それは節操が無いっちゅうもんだ。
まあとにかく俺はこの出会いを経て
益々歌うモチベーションやら自己顕示欲がぶち上がったってお話。
いつか彼とセッションしたいなあ。
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卒業
卒業シーズンである。
俺自身が学校を卒業したのは27年前、福岡工業高校を卒業が最後だが、まあ淡い青春とは程遠いクソガキの戯れのような一日だったので書かない。
この歳になって思い出す卒業は中学校を卒業する時の事であるが、式どうこうではなく、式が終わった後にみんなで写真撮ったり第二ボタンをどうするかだったり(今はどうか分からんが、当時の女達は好きな男の第二ボタンを卒業式でもらう事が良いとされていた)である。
「ああこれもおっさんになったらいい思い出だったなあとか思い出しながら切なくなるんだろうなあ」
と思っていて、実際おっさんになってこの時の事を思い出し切ない気持ちになっている。
今風に言うとエモい気持ちになっている。
エモーショナルって言葉は、ダイナソーJrとかウィーザーとかが出てきた時にエモーショナルハードコアって言われていて俺くらいの年代の人々はそれらをエモコアと呼んでいた。エモいハードコアなんだが、今の若者がこれらを聴いてエモいと表現するかは分からん。
さて、朝からエモい気持ちでこれを書いているのだが、俺はこの季節が大好きである。
まあ日本国民の90%くらいは好きだろうが、花粉症の影響であんま好きじゃないって人もいるだろう。が、俺は花粉症ではないのでものすごく好きである。
あったかくなると本能的にも活力がみなぎり、桜など花も咲き、さあやるぞって気持ちにもなる。
3月が年度末、4月を新年度とし春を境にする日本社会のシステムは、ああなるほどこの感じを元にそうなったのだなあと俺は勝手に解釈している。素敵。
そんな季節の中、我が部屋に子供達の誰かが学校で使い古した教科書、っちゅうか音楽の授業でサブで使ううた本が放置されていた。
ペラペラとめくると、童謡であったり、授業で歌われる曲などがコード付きで載ってるではないか!と言う事でたまにその本を見ながら歌ったりしていた。
小学校のうた本に載る曲達は実にシンプルで、実に良く出来ていた。
そしてその中にある仰げば尊しを歌っている際にエモい気持ちになり、せっかくなのでチューニングとかも45歳のブルージーを加えるべくドロップDなどにして録音したくなった。
録音するなら映像もとって発表したくなる。
自己顕示欲が爆発するのである。
そして発表した映像がこちら。
これが中学校の卒業式を45歳になって思い出すエモーショナルハードコアである。
音も良く録れて、良いミックスも出来たので日本国民の90%のみならず、全世界の人々に聴いてほしいと思っている。
春は気分がいい。
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今村竜也の春ソング「ココロの花に」のセルフライナーノートはこちら
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