2025年を振り返る

2025年もあと9時間ほどで幕を閉じようとしている。
全ての物事を納め俺は今爆音でキースジャレットトリオのライブ聴いている。
2025年を振り返ると銘打ったが正直細かな事はほとんど覚えていない。
通常のライブについてはその記録をつける事を辞めた。記録をつける事を辞めたと同時に所謂ブッキングライブへの出演オファーを断りまくった。ブッキングライブという30分ほどの尺で入場料とドリンク代合わせて4000円ほど。その金額に見合うライブをやればいいじゃないかとも思うが俺は路上ミュージシャンとしての活動を主としている。簡単に言うと俺の歌をお金払って聴いてもらう前払いスタイルではなく聴いて良いと思ったなら足を止めてもっと聴いてってね、お金払いたいと思ったらお好きな金額をギターケースにぶち込んでねっちゅう後払いスタイルだ。それにすっかり慣れてしまったので入場料を取って会場に足を運んで頂く事に対しとても申し訳ないなあって気持ちになる。勿論ライブの告知はするがそれをみて気楽にプラッと来て欲しいのである。ライブあるからどうか観に来て下さいよと何度も何度もラインやら何やらをするのに嫌気がさした事もあるし(長男なので人にお願いするのがとても苦手なのだ)、そうやって応援をお願いする活動とは決別しようと確信した年になったと思っている。
そんな思いもあり通常のライブは自身のワンマンと仲間達によるお祭り的ライブへの参加に制限した。俺のようなアコギ一本の弾き語りに高価なPAシステムやモニタースピーカーの良し悪しなどは関係ない。ギターさえあればどんな環境でもやれるのである。わざわざその様な設備がある場所で入場料を取ってやるライブ活動にこだわる必要は無いのだ。
時間の縛り、動員力、その他諸々・・・全てを気にせず自分の思うようにできる環境、それが路上なんだなとつくづく感じた。お客さん何人呼んだらいくらバックしますよ的な事も気にする必要がない。全てが直接的だ。
そうやって路上の人間となっていくにつれ「より多くの人に僕の歌を届けたいです」「二万人の前で歌いたいです」的思考は0になった。私小説的な俺の歌をより多くの人に聴いてもらいたいなどと言う思考はおこがましく利益を追求する企業みたいだ。なぜ企業は利益を追求するのだろうか。目標を達成したら次の目標が設定され永遠に目標を追いかけ続け金を稼ぎ続けねばならん。そういう企業的思考はビーズやらミスチルやらゆずの様な多くの人に届ける事を前提に活動をしている方々に任せておけばよく、俺は名も知らぬ目の前を通り過ぎようとするその人に直接的に歌う。今の歌を今の環境で歌う。カバーが良けりゃカバーを歌いオリジナルを歌たければオリジナルを歌う。全てを乗せて歌う。そしてその直接的な歌を直接今喰らい足を止めて頂くとてもミニマムな瞬間的な出来事にこそ悦を感じるのだ。

日々の暮らしにおいてもそのミニマム思考は俺を支配して行った。楽しい日々を過ごしたいなどという漠然としたものではなく今日を楽しく過ごすにはどうするべきか、今楽しい気分になる為に何をするべきか。それは仕事に出かける朝であってもその行きがけに楽しい気分になるにはどうするべきか、例えば仕事が終わって家に帰ったら晩酌でカツオのタタキを食おうと想像しながら通勤し、折角なんで日本酒を買って帰ろう、さてどこで買おうか、安酒で良いか、やっぱビールでいいか、その前に風呂入りたいな銭湯行くか、いややっぱ家の風呂で済ますか時間ないし等々、楽しい事に対する計画やらをする。良い日差しであれば数秒でもいいのでチャリを止め眺める。ハトを眺めアイツらは何をそんなに熱心に突いているのだろうかと想像する等々。先に触れた音楽活動、主に路上ライブでも今この瞬間に一番良い歌を歌う事が楽しいし、良い歌を歌う為の日々の鍛錬も楽しい。
ダラダラと書いてしまったがとにかく先の事などわからんし、過ぎた事はどうにもならん、どうにかできるのはこの瞬間しかないって事に重きを置く様になって俺自身スッキリとした。1秒前の俺は既に死んでいるし、1秒後の俺は生きているのかわからんのである。とにかく今この瞬間のみが生きているのである。
さてまとめに入ろう。
過去の振り返り文章なども読んでみたが若かりし頃は絶対頭角現すやらなんやらと威勢の良い未来の事ばかりを書いていたが今の俺、50歳の俺は違う。過ぎた事はめでたしめでたし。これから起こる事はやってみらんとわからん。それだけである。歌に関してはその歌う瞬間に最も良い歌を歌い「歌そのもの」になる事を目指す。こればかりは好きなので続けるとか辞めるとかのお話ではなく常に俺にあるものなのだ。
まあ兎に角、俺は研ぎ澄まされこの年を締めくくる。風呂でも入って今夜のパーティーの為に唐揚げを揚げたりして準備をしよう。
俺に関わった皆様も良いお年をお迎え頂きたい。本当にありがとう。引き続きよろしく頼む。
2025/12/31 夕方 自宅にて
今村竜也
50歳になり今村竜也が観た「美しい世界」とは? 新曲発表記念インタビュー

今村竜也が今年2曲目となる新曲「美しい世界」をリリースする。今作の音源は前作「話をしよう」とも4曲入りEP「IMAMURA TATSUYA ACOUSTIC EP1」とも全く趣が異なる音源となった。今年50歳の節目を迎えて作られた楽曲について大いに語ってもらった。
ああ俺も50歳になったか。なんか印をつけんとなって気持ちが強くなり作曲しました。
ーー今回の楽曲には何か特別な思いがあったのでしょうか?
今村:毎回曲ができる時っちゅうのはなんか心が動かされた時に書きたい!と作曲テンションが上がるもんですが今回はそういった衝動的なものではなく、ああ俺も50歳になったか。なんか印を曲としてつけんとなって気持ちが強くなり作曲しました。20歳、30歳、40歳の時には文章などで記録はしてると思うのですが、なぜか50歳になった今はこの印をつけんとなって気持ちが一層強くなりまして。印をつけないと人生の時系列がバラバラになる感覚がありまして精神的には20歳ん時と何も変わらんのですが、老眼になったり深酒したら次の日は何もできなくなったりとフィジカルの老いをリアルに感じるようになって脳ミソから「お前20歳ん時と同じ感覚で動いていたら死ぬぞ」って信号が送られてきてそろそろ曲として印つけなさいよって気分になったのかもしれません。
ーー歌詞の内容について教えて下さい
今村:今までも全部そうなんですが、ごくごく個人的な思いを歌詞にしました。日本を代表する売れてる人達って大勢に向けて歌詞を書いてると思うんです。大勢が共感する歌詞です。だからこそ大勢の人が聴いて感動する訳なんですが、俺の場合は俺が観た俺世界を俺言葉で書いてしまうので大勢の人が共感するような要素がない。ラブソングでもないし誰かを勇気づける様な応援ソングでもない。おおよそが団地の壁を夕焼けが照らしその景色は今はもうないねえ、全ての物事は過ぎ去るんですよ無くなるんですよ、もう戻らないんですよ、だから愛おしいんですよ的な物悲しい歌詞ばかりなので売れる訳がない(笑)。現代文学の肝みたいなところに影響を受けているのでこれで良いと思ってますが、今回の歌詞は何というか宣言に近い歌詞になったと思っています。
ーー宣言ですか?
そうです。関白宣言と同じです。50歳の俺はこれからはこうやって生きていきますって宣言です。サビは宣言ですね。
ーー歌詞について教えて下さい
サビは
綺麗な事じゃなく美しい世界を 確かめながら生きる泣き笑いながら生きる
消えゆく風景を言葉にならない想いを 確かめながら生きる噛み締めながら生きる
です。なんでもそうだと思うんですが綺麗は作れます。キャンメーク東京もカワイイは作れるって言ってましたし。歌もそうで綺麗に歌う事は誰にでもできるし作れるんですが、美しい歌って作るもんじゃなくて溢れ出すもんかなと。経緯とか背負ってるもんとかが。それらが歌になった時、歌ってる人に憑依した時、歌詞やメロディーや曲が云々を飛び越えて美しい凄みとして歌われるもんかと思っています。自分自身も歌う時に綺麗に歌おうとすんなよって心がけてますし、聴く側にたった時もこの感覚を忘れない様にしています。美しい歌ってのはジャンルやら国境を飛び越えて心がグラグラっとなってダメージを受ける。

50歳なんで壮大な感じにしたかった
ーー曲のアレンジについてなんですが、前回リリースされたEPは全曲アコースティックギターのみのアレンジでした。今回は真逆のバンドセットでのアレンジとなっていますがその理由を教えて下さい
今村:前回のEPは今まで発表した曲を弾き語りのデラックスバージョンとしてピシっと録音したいなってコンセプトでアコギのみでのアレンジとなりました。基本俺は曲出す時バンドセットで出します。音源は音源、ライブはライブって考え方で一人弾き語りで活動しているから音源もそうじゃないといけないって縛りはいらんなあと。音源を聴いた人に「じゃあバンドやれや」と言われる事もあるんですが(笑)、別に俺がどんな形で音楽をやろうと俺の勝手なのであんま気にしないでいます。バンド組みたい気持ちも今年初めくらいまではありましたが、色々トラブルがありましてそれはまた別の場でお話しします。別の場があればですが。話が脱線しましたが、音源に関しては基本バンドアレンジでやる感じなので元に戻ったってだけです。
ーー冒頭よりストリングスが入ってますが
今村:50歳記念音源って事で壮大な感じにしたかった(笑)。まあただDTMなんでモノホンのストリングスと比べると雲泥の差なんですが、誰かに頼む金も無いですしこれで良しとしました。宗ひろしがやってたMALCOってバンドが出した「今は昔」って曲が大好きで、俺の記憶が確かなら最初に発表された音源はストリングスが入っていたと思う。そのイメージがずーと残ってて脳内でパクった形となります。あとは普段路上ライブの中でよくカバーしている長渕剛ホールドユアラストチャンスの音源が物凄くリバービーで壮大な感じなんです。80年代っぽいっちゃあそうなんですが、なんか良くて。曲構成も含め参考にさせて頂きました。

路上での出会いを取り込みたかった
ーー今回の楽曲のジャケットについて教えて下さい。
今村:このジャケットはDan Takayama氏によるイラストを使わせて頂きました。
ーーDan Takayamaさんは何者なんですか?
今村:高円寺で路上ライブをやってる時に足を止めてくれた青年です。趣味で絵を書いており、俺の歌う姿をスケッチしてくれました。いい奴でした。
ーーDan Takayamさんの絵をジャケットにした理由などお聞かせ下さい
今村:他の足を止めてくれた方々がガンガンビールを差し入れてくれまして、その日はビールを2リットルくらい飲んで歌っていたんですが、気がついたら12時半でした。目を上げるとDan Takayamaがノートに俺の歌う姿を書いてくれてたんです。その絵が何とも良くて。趣味で書いている人にしか書けない味があり、プロには出せない暖かみを感じました。店で食うプロがつくったラーメンは勿論美味いんですが、家でつくったアマチュアのラーメンも美味い。カチカチしていない肩の力が抜けた商売ではないリラックス感。そこに衝撃を受けました。そしてこの絵を見て俺は路上でこういう顔で歌ってるんだなあと思ったんです。これぞ俺の姿だと思ったんです。その場で「この絵を新曲のジャケットにしてもいいか!無茶苦茶再生されたらギャラ渡す!」と言って許可をもらいました。翌る日二日酔いの中、冷静に考えてみたんですが絵も良かったんですが一連の経緯が良いなって思いまして。俺は路上ライブを始めて4年になるんですが通常のライブ活動ではなく路上での活動に重きを置く様になって色んな事が楽しくなって来た。路上をやってなかったら音楽をやめていたかもしれん。ストリートミュージシャンって肩書きは俺のアイデンティティになってると思っている。そんな路上での出会いを作品に取り込みたかったってのが一番腹落ちする理由になる。

ーー最後に今作品に対する意気込みなどお願いします
今村:まあ俺の曲を心待ちにしている人はほとんどいないんですが、誰も聴かねえだろうって気持ちでも曲が書けるってのはある意味才能やと思ってます。伝わるか伝わらないかはさほど重要ではなく伝えようとする事が重要とイルボスティーノも言うとりますんで。まあただ折角だったら一杯聴かれた方がテンション上がりますので一人一回は聴いて欲しいですね。冒頭でこの曲は宣言だと言いましたが、もう一つ俺は宣言したい。俺は現役のまま死にます。まだ死ぬ気はないが、ネオフォークシンガーとして80歳とかになっても路上で歌っていたいね。ギターも鳴らせてない、歌も声が小さくて聞こえん、小便も漏らしているって状態で誰も足を止めないかもしれんが、路上で歌いながら歌い死んだらかっこいい。その姿をDan Takayamaにまた書いてもらって遺影にしてもらおうと。ありがとうございました。
インタビュー:今村竜也
文:今村竜也
写真:今村夕香里
今村竜也 美しい世界 -Short Version-
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今村竜也 美しい世界
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【今村竜也のプロフィール】
今村竜也 イマムラタツヤ 1975年生まれ五児の父。
吉祥寺、下北沢、高円寺、新橋等、東京の街の底「路上」を中心としたライブ活動やオリジナル楽曲を制作する自称ネオフォークシンガー。
カバー、オリジナル問わず真っ直ぐに歌い上げられる歌は年齢を問わず人々の脚を止める。
そして街全体を郷愁に似た雰囲気に包み込み一体化させる。
最新音源「IMAMURA TATSUYA ACOUSTIC EP1」 フィジカルは完全手売りとなっており路上ライブ等にて発売中。
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今村竜也2021年回顧

久しぶりに文章を書く。
無理やり書くもんではないのでこれで良いのだが、前回の記事を見たら5月だった。
毎年年末にその年を振り返るのだが、今年は昨年に引き続きコロナにより時間が縮んだような一年だった。
ライブ活動は緊急事態宣言の煽りを受け1〜4月は自粛した。
その間俺は何をやっていたか思い出そうと試みたが、さっぱり何をしていたのか思い出せない。
まあ競馬ばかりやっていたのだろう。狂ったように。
タイミングもあるが今年の冒頭、俺は音楽に対するモチベーションが激低だったのだろう。
ライブにお客さんを集める事が禁止され、そもそも集客力が弱い俺は更なる困難を強いられいじけてしまったのだ。
こればかりはどうにもならなかった。
配信でのライブって手段もあるのだが、そもそも配信に対し面白さを感じていない。
面白さを感じていないってのは、何度かやって、あの視聴者0の状況で一人で喋っとる感じや歌っとる感じがとても虚しいのだ。
勿論アーカイブで後ほど見ることもできるのだが、ライブとはなんぞやと自問した時、
これならば映像作品として作り上げた方が面白いんじゃないかなど思ったりもした。
まあ、配信やりますーって始めて視聴者がどんどん増えていけば調子に乗って楽しい気持ちになるんだが、そうならなかった過去のトラウマがある。
そんな悶々とした4月頃だったか、我がホーム下北沢ちょ美ひげに飲みに行った時、遠藤さんから「竜也君、なんか歌詞書いたら俺曲つけるよ。気楽に持って来なよ」と提案があった。
その頃、直接の面識はないが、あるミュージシャンの奥さんが長い闘病の末亡くなられたニュースを知り、なんとも言えん気持ちになった。
愛する人の死ってもんを俺は何度か経験しているのだが、奥さんに先立たれる時の気持ちについて一週間ほど色々考えていた。
それくらい衝撃的なニュースだったんだが、なんと言えばいいのか、その当事者であるミュージシャンの振る舞いは悲しさの中にある愛、肉体が無くなっても精神で繋がる愛を確かに目撃し、感じているありのままの姿であり、素晴らしい映画を見終わったあとのような気持ちになった。
それを見た感情を詞にした。遠藤さんは最高の曲を作ってくれ、レコーディングまでやってくれた。金沢に住むヨシカナにピアノを頼んだ。俺の気持ちを代弁するような感情的なピアノを入れてくれた。そして「ある朝」という曲ができた。
これは俺のいじけた心に勇気を与えてくれた。
音楽を誰かと作り上げる素晴らしさを思い出したのだ。このバンドマジックのような、自分の想像を超える曲や演奏が全体を何百倍にも華やかなものにしてくれる。
これがあるからバンドマン達はバンドを辞めれないのだが、俺は今年の半ば、夏の手前にこの感じを思い出したのだ。
音源「ある朝」発表に合わせ、ライブ活動を再開した。
相変わらず集客は渋いが、コロナで微妙な時期の中、俺の曲を聴きに来てくれた仲間達がいた。本当に感謝している。
下北沢ちょ美ひげにて自身のイベント「原点回帰シリーズ」を月1回のペースで行った。
渋い集客の中、快く毎月歌う場を提供してくれる下北沢ちょ美ひげの隊長、遠藤さんには一生頭があがらない。恩返しをしたい。
夏。
借金の整理等々を決断し俺の小遣いカットを自ら申し出た。
俺の不摂生にて今村家に迷惑をかけたくなかったのだが、こうするしか無かった。
月々の支払いなどを考えると自身の小遣いカットと併せ月給を数万プラスが必須となった。
今までとは異なり仕事をガンガンやる事にした。
俺は自分で自分のケツに火を点けた。
小遣いが欲しけりゃ仕事以外で稼ぐしか無くなったのだ。
メルカリで色んなもんを売った。
ネットビジネス的副業も考えた。
俺はボーカルなので、仮歌やナレーションの副業も考えた。
が、どれも何かケツの穴がむず痒い違和感を感じた。
と言うより、腰が重かった。仮歌とかナレーションとかやりたくないのだ。
俺は何がやりたいんだと自問自答している時、鈴木大樹から路上ライブのお誘いがあった。
10月末の話だ。
路上ライブはその昔2度ほどやった事があるが、スーパーオールスルー状態にトラウマがあった。
向井君に誘われ下北沢路上でのライブは3度ほどやったが、それとこれとはまた状況が異なっていた。ほぼ無名の俺が路上で歌うのだ。
それは歌のスキルは勿論、素晴らしい楽曲でなくてはならないし、カバーも自分のものにした魂のカバーをやらないと見ず知らずの人々が脚を止めることは勿論、銭を投げる事などは皆無なのだ。
そんな中吉祥寺にて路上ライブをやったのだが、自分が想像していたより遥かに反応があった。
有名無名関係なし。その場にいるたまたま通りがかった名も知らぬ人の心のタイミングと俺の歌のタイミングがバチッと合わさった時にその人は脚を止める。そして対価を得ることができるのだ。
俺の中でカチっと何かと何かがハマる音が聞こえた。
ああ、なんてシンプルな世界なんだと思ったし、今の俺にとてもフィットしていると思った。
何より、俺の歌ってそんなに需要ないのかといじけていた気持ちが、俺の歌を聞いて感動してくれる人がいるんだ、伝わるんだと嬉しい気持ちが増えた。
路上をやる予定のある平日の仕事中なども、それがある事によりパソコンのタイピングも機嫌よく、クレームの対応もヨカヨカと全てが上手くいくようになった。
賛否両論ある。
だが今は週1〜2回の路上ライブと、月一回のちょ美ひげでの自主イベントをやる事が、とても腑に落ちており、何より毎日が楽しいのだ。
歌う悦びを噛み締めている。
さて、ぼちぼちまとめに。
そんなこんなで、俺はまたミュージシャンとしての自尊心と自己顕示欲を取り戻したのだが、
来年は曲をたくさん書こうと思っている。
今年は学びの年であり、来年は飛躍の年である。
毎年言っとるが、今年も色んな人に色んな迷惑をかけた。
それを許し、俺を受け入れてくれた皆に感謝している。ありがとう。
来年もいっぱい迷惑かけるのでどうぞ宜しく。
今村竜也
対比

それに伴い俺は仕事が休みになった。
「ガッキーは俺の友達の友達なんだよ」と自慢する法則と同じである。
コロナウィルス感染者の友達の友達は、特になんともないのだが、特別扱いである。
お陰様で自分の時間をたっぷりと有意義に使う事ができた。
ありがとう社会。
結果、娘は陰性であった為今日から仕事だ。
神様から与えられた休日は実に有意義であった。
新曲のMVをじっくり作り込む事ができたし、音楽的な「事務作業」をやっても十分に余る時間があった。
こんな日々は大げさではなく十数年ぶりであった。
ギターを弾いたりもしたのだが、主に先に書いた「事務作業」と趣味に時間を使った。
表現活動、すなわち芸術を作り出す気持ちになれず全ての欲望を満たす日々となった。
タイトルにした対比。
やりたくねえやりたくねえと言いながら普段仕事しとる訳だが、それは実はとても重要な事だと気付かされた休日だった。
人間、いや俺はある程度の不自由があって初めて芸術活動をやるのだと思った。
それがないとほぼ競馬の事しか考えていない事が明らかになった。
別に競馬に人生を捧げても、それはそれで良い人生だと思う。
本当にそう思う。
しかしその中にふわっと存在する虚しさがあり、
「俺はこんなもんなんだろうか」っちゅう自己顕示欲の大元のような熱がやはりふつふつと湧き上がるのである。
それを燃焼させる事が俺の芸術活動であり、すなわち歌なのだと確信した。
歌詞にもあるが、
本当は今のままで満たされている
本当は今のままで許されている
それでもさ欲張りな俺は「足りない」と
夢ばかり観てるような暮らしをする
この通りだと最近思っているのである。
昨日の朝、学校へ行った長男の部屋に入り彼が買った本などを眺めた。
俺はこの男をここまで育てた。
長女、次男、次女、三女。
やあやあ言いながら皆すくすくと育っとるじゃないか。
それらを眺めていると
ああ俺はもうすでに人間今村竜也としてのミッションをクリアしたのかもしれんな
とか思ったりする。
だがヒライマサヤが言ってた言葉がその後必ずやってくる。
ライブは弦が切れた後にロックンロールがある
歌はネタ切れになった後に本当の歌が歌われる
咀嚼して俺は
人間としてのミッションを全うした後に本当の芸術が生まれる
と思っている。
悦を超越した悦ってやつだ。
ぼかあ幸せだあ
と思って、そのまま幸せのぬるま湯に浸かるも良いが、いやいやもっとあるぞこの先がもっとあるはずだ
と思う欲望が俺は美しいと思うし好きだ。
俺は欲望の塊である。
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今村竜也が最新曲「ある朝」について語る動画。
今村竜也のライブ情報
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自分の枠を出ようか

自分自分自分。
自分で考え、自分の言った事や、やった事に自分でブチ切れる。
自分で観た風景に自分の記憶などをオーバーラップさせ感傷的になり、
自分が決めた人生を生きている。
自分自分言うとるがこれがまた滑稽やが、その自分は他人の影響をゴリゴリに受けていて、
パクリ思想、パクリ振る舞い、パクリ顔である。
所詮俺などが自分なりに良かれと思っとる事は他人の影響を受けたパクリ良かれであり、
オリジナルソングなどと声高らかに発表した楽曲も全てパクリなのである。
このことに気づいたのは実は随分若い頃であって、それも他人によって気付かされた事であり、パクリ人間である事に気づく行為そのものすらパクリに思えてくるのである。
これわかっている奴とわかってない奴とでは決定的に人間としての面白さ、すなわち人間ダイナミクスが雲泥の差であり、わかっている奴としか俺は友達にならない。
このポリシーすらも実のところ誰かの影響なのだろうが、
己なんぞは所詮影響を受けたパクリの塊である
って事を咀嚼する事は人生を楽しく歩む序章であるし、
そのパクリの塊である己が思った事やら発する表現がオリジナリティーなんだよ実は
って事に気づく事が何やエアオーディエンス的な人の眼を気にする事を排除した
平の状態になるもっとも重要な事である。
例えば今。
俺はハイボールをちびりやりながらこれを書いとるわけだが、ハイボールなど俺は全く好きではなかった。
嫁さんがハイボール好きで、4リットルトリスと大量の炭酸水を買い込み毎日飲んどる訳で、
「ハイボールはヘルシーだ」とか
「甘い」とかをプレゼンされ、焼酎が切れた時などに仕方なく飲んでいたところ
「ありゃなんかこれも悪くないな」になり
「これが一番いいんじゃないか」となった。
嫁さんの影響を受け、俺はいつの間にかハイボールを好きで飲むようになったのだが、これは俺が独自に開拓した酒ジャンルではない。
他人に影響を受けてそれをあたかも自分が発見したかのような気分で嗜む。
何と幸せなんだろうかと思う。
だらだらしてきたのでまとめるが、
庵野監督のドキュメンタリーで言ってた通り
「自分の想像する範囲ってのは実は面白くないんだよ」って事を最近つくづく感じるのである。
改めて発表するが、近日発表を予定している楽曲は、作詞は俺だが作曲、編曲、演奏、は俺じゃない。
俺じゃない人の発想やら具体的にできた音ってのは面白い。
なぜ面白いのか?
それは俺じゃないからである。
独言悟浄こと今村竜也45歳。
本当の意味での旅が始まるのである。
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辞められない人たち

宗ひろしという男がおる。
俺がその昔やっていたハートドロップスっちゅうバンドのファンで、お笑い芸人を辞め音楽の世界に踏み込んだ男だ。
知る人ぞ知るバンドMALCOでメジャーデビューしHEY!HEY!HEY!にも出たのだと言う。
ドリカムとボンジョビと対バンした事もあるらしい。

ドリカム

メジャーの洗礼を受け下北沢の街に戻って来たタイミング(何年前だろうか2008年くらいか)で再会したのだが、その時この男は完全なる石目であった。
俺はメジャーと契約した事はないが、こんな石目になるほど過酷な世界なのかと思ったもんである。石目とは皆さん有名人などに会って「ファンですう!握手してください〜」などと言って握手してもらった時に顔は笑っているが目が笑っていない状態、すなわち「ありがとうございます」などと言いつつも心ここにあらず状態の目の事である。宗ひろしは確実にこれだった。
街の底で音楽活動するうちにだんだんと人間らしい目つきになり、家庭などもち、今ではもう石目では無くなった。よかったよかった。
そんな宗ひろしと2年ぶりくらいに下北沢で飲んだ。
家族ぐるみの付き合いなので、二人で飲む事はごく稀だが、家族がいない状態で飲むと、コロナ問題、政治問題、生活問題、仕事問題などの話は2%しかせず音楽の話18%。残りの80%はエロい話で盛り上がった。
昼間っから何を話しとるんだと思われただろうが、5時間ほどノンストップでエロい話をして笑いすぎて喘息がぶり返す始末であった。
この男はネトウヨ化している時期もあったが、音楽で繋がっている仲間とはそんな政治的な思想の違いなどで仲違いする事はない。
俺的にはどんな思想、信仰、人種、セクシャルであっても面白い奴とはずっと友達(ずっとも)なのだ。
面白くない奴はスルーである。
まあとにかく俺はネトウヨ化していた(もう辞めたらしい)宗ひろしと大いに飲み大いに語りあって思ったのだが、この男もまたいつまでたっても音楽を辞められない人なのだ。
それは意地とか使命感にかられるもんではない。
辞めきらんのよ。依存しているし中毒患者である。
表現の方法、手段は色々あっていい。
とにかく俺たちは音楽とエロに依存しているところで繋がっているのだと思う。
ここまで書いて
「俺は果たしてこんな事を書きたかったのだろうか」
と冷静に思ったのだが、そもそも何を書きたかったかを忘れてしまった。
忘れるくらいの事なので大した事ではなかったのだろう。
まあ人生もそんなもんである。
嫁さんが「竹内まりやカバーセレクション」の録画を観出したのでここらへんにしておく。
以上
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MOTIVATION

高哲典という男がおる。
人に合わせる事が出来ない孤独主義者であり、こだわりが強い男である。
一年前にやっていたツイッターでの音声のみ生配信フロム猿小屋を再始動するとの事で、再始動後の第一弾ゲストとしてお呼ばれした。
明けましておめでとうと挨拶もソコソコに、ベラベラとそれぞれがそれぞれ、コロナにより地獄の底のような気分で過ごしていた近況を報告しあった。
コロナウィルスってのは肉体的な病では無い。
一般的には、っちゅうか世界的には常識的には、肉体的な病気になるウィルスなのだろうが、俺にとってコロナウィルスは確実にしっかりと精神を殺られるウィルスなんだなと考える。
オレオレ国のオレオレ王である俺がオレオレ活動のやる気が一切湧かなくなるほどの恐ろしいウィルスである。
実際に感染したかは定かでは無いが、確実にここ数ヶ月俺は音楽をやる気持ちから遠く離れた世界を生きていた。
生き延びていた。ダラダラと生き延びていたのだ。
今まで湧き上がってきた中学2年生の性欲のような自己顕示欲がさっぱり無くなっていた。
そんな中、リハビリがてらに文章を書いたり、過去の曲をSNSで宣伝したり、仰げば尊しなどを歌って動画撮ってアップしたりしていたらムクリと回春の風が吹き、誰かと何かをやりたいななどと思っていた矢先にフロム猿小屋のお話を頂いた訳だ。
これは俺世界の話と思いきや、こう言うもんはお互いがそう言うタイミングの時にパシッと合わさるもので、高哲典もコロナの精神に来る毒に侵され、このままじゃいかんと思い、俺をゲストに招いてくれたのだろう。
厳密にはそう思ったかは知らんが俺にはそう映った。
そんなこんなで放っておけばベラベラと5時間は話続けるであろうテンションでしゃべった記録がアーカイブとして残っている。是非聴いてみてほしい。
今日は昼から高哲典と語り合った。
— 今村竜也 (@tatsuyaimamura) 2021年3月26日
呼んでくれてありがとう。
そして聴いてくれた方々ありがとう。
現状に殺られてたまるかってな活力が湧いて来た。
機材トラブルにより三部作となったBIG2の対談記録をどうぞお聴き下さい。#今村竜也 #高哲典 #フロム猿小屋 https://t.co/DbiVDktbPz pic.twitter.com/aNYf7w50Nn
音楽性やら活動スタイルは違えど数少ない同じ感覚の友達と話すと活力がみなぎる。
俺は今、もっともっとだって気持ちに満ちておりそんな気持ちの時、生きてる心地がするのだ。
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高哲典-Akinori Taka- オフィシャルサイト
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