自分の枠を出ようか
自分自分自分。
自分で考え、自分の言った事や、やった事に自分でブチ切れる。
自分で観た風景に自分の記憶などをオーバーラップさせ感傷的になり、
自分が決めた人生を生きている。
自分自分言うとるがこれがまた滑稽やが、その自分は他人の影響をゴリゴリに受けていて、
パクリ思想、パクリ振る舞い、パクリ顔である。
所詮俺などが自分なりに良かれと思っとる事は他人の影響を受けたパクリ良かれであり、
オリジナルソングなどと声高らかに発表した楽曲も全てパクリなのである。
このことに気づいたのは実は随分若い頃であって、それも他人によって気付かされた事であり、パクリ人間である事に気づく行為そのものすらパクリに思えてくるのである。
これわかっている奴とわかってない奴とでは決定的に人間としての面白さ、すなわち人間ダイナミクスが雲泥の差であり、わかっている奴としか俺は友達にならない。
このポリシーすらも実のところ誰かの影響なのだろうが、
己なんぞは所詮影響を受けたパクリの塊である
って事を咀嚼する事は人生を楽しく歩む序章であるし、
そのパクリの塊である己が思った事やら発する表現がオリジナリティーなんだよ実は
って事に気づく事が何やエアオーディエンス的な人の眼を気にする事を排除した
平の状態になるもっとも重要な事である。
例えば今。
俺はハイボールをちびりやりながらこれを書いとるわけだが、ハイボールなど俺は全く好きではなかった。
嫁さんがハイボール好きで、4リットルトリスと大量の炭酸水を買い込み毎日飲んどる訳で、
「ハイボールはヘルシーだ」とか
「甘い」とかをプレゼンされ、焼酎が切れた時などに仕方なく飲んでいたところ
「ありゃなんかこれも悪くないな」になり
「これが一番いいんじゃないか」となった。
嫁さんの影響を受け、俺はいつの間にかハイボールを好きで飲むようになったのだが、これは俺が独自に開拓した酒ジャンルではない。
他人に影響を受けてそれをあたかも自分が発見したかのような気分で嗜む。
何と幸せなんだろうかと思う。
だらだらしてきたのでまとめるが、
庵野監督のドキュメンタリーで言ってた通り
「自分の想像する範囲ってのは実は面白くないんだよ」って事を最近つくづく感じるのである。
改めて発表するが、近日発表を予定している楽曲は、作詞は俺だが作曲、編曲、演奏、は俺じゃない。
俺じゃない人の発想やら具体的にできた音ってのは面白い。
なぜ面白いのか?
それは俺じゃないからである。
独言悟浄こと今村竜也45歳。
本当の意味での旅が始まるのである。
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